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カレーの歴史
日本人とカレーの出会い
日本におけるカレーの普及
世界各国のカレー
なぜ大分でカレー?
「大分活性化宣言!」ブログとカレー特集記事
   

カレーの歴史

 カレーは、一般的にインドを中心にした周辺のアジア諸国で、伝統的に食べられてきた料理を指します。 発祥の地はインドで間違いはないのでしょうが、実はインドには「カレー」という食べ物は存在しません。 私達がカレーと呼んでいる物は、インドではcurryと言い、「香辛料やハーブを使った汁状の料理」を表す単語にしか過ぎないのです。
 また、どれくらいの歴史があるのか、具体的な記録は残っていません。1595年にオランダのリンスホーテンが発表した「東方案内記」では、すでにインド人が食べていた「カリール」という米に汁をかけた料理に関する記載があり、 1681年にイギリスのノックスが発表した「セイロン史」では、スパイスをふんだんに使った汁状の料理、カリーズのことが記されているそうです。 これらの事を踏まえると、料理の名前としての「curry」という言葉は、西洋人が使い始めたのは間違いないと思われます。
 料理としてのカレーが初めて、欧州で紹介されたのは1770年代のこと。1773年にイギリスの初代ベンガル総督になるヘースティングズによって紹介されました。 ヘースティングズが紹介したレシピは、稲作が盛んで米が主食のベンガル地方のものだったので、イギリスではカレーは米と共に食べるようになりました。
 「明解簡易料理法」(1774年)という書物には、イギリス国内で現存する最古のカレーのレシピが載っています。 「みじん切りにしたタマネギとぶつ切りにした鶏肉をバターで炒め、ターメリック、ジンジャー、ペッパー、クリーム、レモン汁を入れて煮る」というものだそうです。 インドで作られているカレーより、このレシピのカレーはスパイスの種類が極端に少ないのが分かります。 イギリス人は、沢山の種類のスパイスを組み合わせて使うことに慣れていなかったため、この様なレシピになったと考えられます。 しかし、この考え方が、後のカレーを劇的に普及させるあの商品を生み出します。それがこのイギリスで18世紀末〜19世紀初期頃に考案・発売されたカレー粉です。
 カレー粉が作られてからのイギリスのカレーは、シチューなどのヨーロッパの伝統的な料理の調理法を取り入れ、独自の発展を遂げていく事になるのです。



日本人とカレーの出会い

 ペリーの黒船が来日し、ついに日本は開国。まだ尊皇攘夷の熱に沸いていた1863年(文久3年)、幕府が派遣した欧州への使節がフランスの郵船に乗りました。 この使節の一人だった三宅秀清の日誌に、「飯の上ヘ唐辛子細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻きまわして手づかみで食す。至って汚なき人物の物なり」という記述がありました。 これが日本人が初めてカレーと出会った瞬間の感想です。
 日本人で実際にカレーを食べたという、最も古い記録を残しているのは、1871年(明治4年)国費留学生としてアメリカに向かっていた山川健次郎です。 アメリカへ向かう船の中で山川は、船酔いで苦しんでいた上、食堂で出される西洋料理が口に合わず、食欲不振になり体調を崩していました。 しかし何も食べないわけにもいかず、食堂のメニューから何とか食べられそうなものを探しました。 そして見つけたのがカレーライスでした。日本人である山川は、米を使った料理なら何とか食べることが出来たのでしょう。
 日本で初めてのカレーのレシピは、1873年(明治5年)に発売された「西洋料理通」(仮名垣魯文著)と「西洋料理指南」(敬学堂主人著)の2冊の本に記載されています。 この両書の共通の特徴は、カレー粉で味付けし、小麦粉でとろみを出すことと、野菜はネギのみを使用しているという点です。 興味深いのは、玉ネギ・人参・ジャガイモといった現在のカレーライスの定番の具はまだ使われていない事です。 肉については「西洋料理通」では牛、鳥、羊を、「西洋料理指南」では鶏、エビ、タイ、カキ、赤カエルを紹介しています。
 1876年(明治9年)には札幌農学校(現北海道大学)が設立され、「少年よ、大志をいだけ」で有名なクラーク博士が赴任してきました。 クラーク博士は寮に住む学生の栄養状態改善のため西洋料理を推奨し、「生徒は米飯を食すべからず、但し、らいすかれいはこの限りにあらず」という規則を作りました。 「ライスカレー」の語源はこのクラーク博士の規則にあるとする説もあるのです。

 ところで…日本人が初めてカレーと出会った記述である三宅秀清の日誌を冒頭で紹介しましたが、それよりも3年早い、1860年(安政7/万延元年)に、「curry」という言葉を残している人物がいます。 彼は、アメリカで購入した英中辞典を元に、発音をカタカナで表記した「増訂華英通語」という辞書を、この年に発表しました。 この中で「curry」は「コルリ」という発音で紹介されているそうです。 この人物こそ、何を隠そう、大分県が生んだ賢人・福澤諭吉。 福澤諭吉が、当時のカレーを実際に見た・食べたという記録がないのが残念ですが、その可能性もあるという事は間違いありません。 ここにもカレーと大分を繋ぐ、大事な歴史があるのです。



日本におけるカレーの普及

 明治時代、日本に伝わってきたカレーは、横浜などの貿易港に住むイギリス人を通した、ヨーロッパ風のカレーでした。 同じアジアのインドが発祥の地でありながら、欧州を通して伝わっているところが非常に面白く感じます。 しかしこの頃のカレーは、庶民的な和食の数倍の価格だったそうで、まだ高級料理として扱われ、一般的な料理ではありませんでした。 カレーが一般庶民の家庭でも作られるきっかけになったのは、意外にも日露戦争でした。
 敵地に送り込まれた沢山の兵士達に食べさせる食料として、日持ちする食材で一度に大量かつ簡単に調理できるものが求められました。 そこで白羽の矢が立ったのがカレーだったのです。 カレーは軍用食品として最適だったので、陸海軍ともに採用されました。 海軍でのカレーを食べる習慣は、現在の海上自衛隊にも引き継がれており、今なお毎週金曜日が「カレーの日」になっていることは非常に有名な話です。 日本軍の兵士達は軍隊でカレーの作り方を覚え、戦争が終わると兵士達は国へ帰り、家族にカレーの作り方を教えました。 こうしてこれ以降、一般家庭でもカレーが作られるようになったのです。

・1902〜03年(明治35〜6)頃 日本郵船の客船の一等食堂で、福神漬けがカレーのつけ合わせとして採用。
・1904年(明治37)頃 東京早稲田の三朝庵がカレーうどんを考案。
・1906年(明治39年) 東京神田の一貫堂から日本初のインスタントカレー「ライスカレーのたね」が発売。
・1910年(明治43年) 大阪難波で自由軒が開店。カレーとライスをあらかじめ混ぜ合わせ、生玉子をのせるスタイルは今も健在。
・1911年(明治44年)頃 日本郵船の客船・三島丸の食堂のシェフがドライカレーを考案。
・大正時代 玉ネギ、人参、ジャガイモといった野菜が一般的にカレーの具として使われるようになる。
・1918年(大正7年) 東京浅草の洋食店・河金がカツカレーを考案。
・1926年(大正15/昭和元年) 「ホームカレー」の商標を持つ稲田商店を吸収した大阪の薬種問屋・浦上商店(現ハウス食品)が、粉末タイプの即席カレールー「即席ホームカレー」を発売。
・1927年(昭和2年) 東京深川の菓子店・名花堂(現カトレア洋菓子店)がカレーパンを考案。
・1927年(昭和2年) 東京新宿の中村屋は、日本の飲食店としては初めて本格的なインド風カレーをメニューに取り入れる。
・1928年(昭和3年) 浦上商店(現ハウス食品)は発売中の「ホームカレー」を「ハウスカレー」と改名する。
・1931年(昭和6年) 市場をほぼ独占していたC&B社(イギリス)製のカレー粉の容器に安い国産のカレー粉を入れて販売していた悪徳業者が摘発。以降、国産のカレー粉が売れるようになる。

〜太平洋戦争〜

・1948年(昭和23年) 学校給食が始まり、カレーがメニューに取り入れられる。
・1950年(昭和25年) ベルから発売されたカレー粉「ベルカレールウ」が、初めて現在と同じ板状の固形ルーを採用。
・1960年(昭和35年) ハウスから「ハウス印度 カレー」が発売。グリコから「グリコワンタッチカレー」が発売。
・1963年(昭和38年) ハウスから「ハウスバーモントカレー」が発売。
・1964年(昭和38年) ヱスビーから「特製ヱスビーカレー」が発売。
・1968年(昭和43年) ハウスから「ジャワカレー」が発売。
・1968年(昭和43年) 大塚食品から世界初のレトルトカレー「ボンカレー」が発売。
・1971年(昭和46年) ハウスからもレトルトカレー「ククレカレー」が発売。
・1978年(昭和53年) 後に日本最大のカレーチェーンになるCoCo壱番屋の1号店が、名古屋でオープン。
・1982年(昭和57年) 1月22日の給食のメニューをカレーにすることが決定。以降1/22がカレーの日と制定される。

1980年以降に発売されたカレー関連の商品は、もう書き出すのが辛いほどの量です。 実際に30年以上を経ても、今なお不動の人気を誇る商品など、懐かしい名前から定番商品まで、カレーの発展に関わってきた出来事を列挙してみました。



世界各国のカレー

 日本独自のカレーがあるように、世界には様々なスタイルのカレーが存在します。

◆インド
 カレー発祥の地・インドにはカレーという料理は存在しません。我々日本人が日常に利用しているカレー粉も存在せず、あらかじめ何種類かのスパイスを混ぜ合わせて、石うすなどですりつぶして料理に使う「スパイスを使った汁状の食べ物」と呼んでいます。 この混合スパイスはマサラと呼ばれ、古来インドから料理に欠かせないものです。 マサラの種類は無数ともいえるほどで、料理によって使い分けられます。日本でも最近おなじみの「ガラム・マサラ」はマサラの中でもとくに辛いもの(ガラムは辛いの意)をさします。 宗教上の禁忌から食べるものが限られて、どうしても単調になりがちな味を補う意味もあるのでしょうか、インドの料理にはスパイスは欠かせないものなのです。 日本で主に食べられているとろみのあるカレーはなく、水気の多いカレーがメインになっています。お米だけでなく、ナンと呼ばれる薄いパンにつけて食べるのも特徴です。

◆スリランカ
 インド南端より南、赤道の近く、インド洋上にある島国でも、カレーは極自然に食べられます。 農産物もスパイスもインド同様スパイスの効いた辛いカレーで、大皿に盛られたご飯を中心に数種類のカレーを用意して、各自取り分けて食べるというものです。 皿数とその内容は生活水準によっても違いますが、1食について1種類のカレーだけということはまずありません。毎食ごとにスパイスを変え、また材料を変えて、2〜3種類のカレーをそろえます 東南アジアでは、宗教上の食禁忌が人の暮らしぶりを変えてしまうほどの大きな力を持っていますが、スリランカでは、一部のヒンズー教徒を除いて、ほとんどが仏教徒のため、食生活上の制限がほぼありません。 そのため食卓は賑やかで、日本で言う鰹節のようなモルジブフィッシュと呼ばれる、塩けの多い干し魚が良く使われているのが特徴的です。 長くて赤い米が使われており、味・見た目・香りまでも他国のカレーに比べて特徴的です。

◆パキスタン
 インドの西隣りのパキスタンでは、近隣国と同様に、スパイス文化に裏打ちされたカレー中心の食生活が営まれます。 雨が少なく、山に囲まれた暑い国ですから、ドライタイプのカレーよりも、喉を通りやすいスープの多いカレーが中心となっています。 その暑さのため、食物の腐敗が早いので、作りおきするカレーよりも、手早く作ってすぐ食べることが多いようです。 90%以上がイスラム教徒の国なので、肉類は羊と牛をメイン、魚類は肉よりもカロリーが高いとされており、体を温めるために冬に好んで食べられます。 パキスタンのカレーは、材料の組み合わせによる区別だけでなく、どのスパイスを使用するかによっても種類が違ってくるので、食材の豊富な国だけにそのレシピの数は膨大です。 また、スパイスを薬として利用する民間療法はパキスタンでも盛んで、DESI HIKMA(デシ・ヒクマ)というインドのアーユルヴェーダに相当する伝統医学が、民間に深く浸透しています。

◆ネパール
 インドの北に位置する東西に細長い国で、北の中国との間にはヒマラヤ山脈を抱く事でも有名です。 ヒンズー教を国教として、30以上の民族がそれぞれ伝統的な文化を持っています。 基本的にはインドによく似た食文化を持っていますが、日本の「ご飯とみそ汁」とか「一汁二菜」というようなダル・バートと呼ばれる文化があり、タルカリと呼ばれる野菜料理の惣菜が2〜3種、豆のスープ、ご飯、漬物、飲みもののセットで、中身が日々変わるのです。 ネパールも手食文化ですから、これらを右手で混ぜながら食べます。 このタルカリが、いわばインドのカレーにあたるものですが、基本的にはタルカリといえば野菜料理を指します。 ヒンズー教なので牛肉は食べませんし、肉といえば鶏、羊ですが、基本的に肉料理は特別の日のごちそう。野菜中心の食生活が営まれています。

◆タイ
 背後に山岳地帯、前方に海、広がる平野には大河を抱き、カンボジア、ラオス、ビルマ、マレーシアと国境を接して広がる国で、土地は肥沃で、米は年に何度もなり、バナナ、パパイヤ、マンゴーなどのフルーツ類、野菜類も豊かに実ります。 年中、25℃〜30℃位を行ったりきたりの気温なので、農産物も安定して供給され、隣接する国々の文化を容易に取り入れて来ました。 タイの料理に共通するのは、油をあまり使わず、肉や魚類と比較して野菜を大量に摂ること。それも、一種多量の野菜ではなく、一皿の中に多種を取り合わせてしかも多量に摂る、「多種多量主義」がどこの家庭でも貫かれています。 タイのカレー(ゲーン)は、インドのマサラのように、混合スパイスを加えるということはなく、クロックと呼ぶ石のすり鉢とすりこぎで、生の唐辛子、にんにく、カー(タイのしょうが)、ホムデン(タイの小粒の赤玉ねぎ)、パクチーの根、レモングラスなどを丁寧にすりつぶしてカレーペーストを作っています。 よって、インドのマサラ同様、カレーペーストの味は各家庭によって千差万別なのです。

◆インドネシア
 4つの大きな島を中心に、中小の島々からなる赤道直下の国で、50余種に及ぶ種族が各自の文化圏を守っています。 食習慣も実に様々で、国民の90%はイスラム教徒なので豚は食べず、バリ島ではヒンズー教徒が多いので牛は食べません。 インドネシアでもスパイスは多用され、一般の家庭でも、唐辛子、ターメリック、カシューナッツ、アッサム(酸味のあるフルーツ。干しかためて保存する)、スレー(木の実の皮)など、約20種くらいは常備して、その家庭独自のやり方で用います。 しかし、共通するのは唐辛子のペースト「サンバル」で、これを抜きにしてインドネシアの食生活を語ることはできません。 サンバルは生の赤唐辛子をベースに各家庭の独特の配合で作られ、食卓において、各人が料理に加えて辛みを調節しています。

◆イギリス
 カレーパウダー誕生の国イギリスは、当然のことながらカレー料理が盛んで、世界でも日本に次ぐカレー先進国と呼んでも過言ではありません。 平均月2〜3回はカレーを食べる人が多く、インド料理店が国内に8000軒もあるそうです。 イギリスのカレーはフルーツの甘味に包まれたホットでスパイシーなタイプ。ソースは少々とろみがあり、口あたりは大変マイルドです。薬味はトマト、きゅうりのヨーグルト和え、ココナッツ、レーズン、ピーナッツ、マンゴーチャツネ、バナナ。 好みで玄米を食べる人もいますが、白いご飯で食べるのがスタンダードです。豆のカレーなども食べますが、代表格はチキンカレー。 日本同様に海に囲まれた島国であるにもかかわらず、魚介類を使用したカレーはほとんど作られません。 イギリスのカレーの歴史は古いのですが、カレーが人気を呼ぶようになったのは比較的新しく、年代的には40歳以下の若い人達がお酒を飲んだ後、深夜まで開いているインド料理店で仕上げにカレーを食べる、というスタイルが浸透しているそうです。 日本で言うところの、飲んだ後のラーメン的感覚なのが、非常に興味を惹きます。

◆その他の欧州諸国
 イギリス以外のヨーロッパでは、カレーはまだマイナーな料理です。 フランス料理の世界ではカレーパウダーはかなり早い時期からソースの風味付けに使ってきましたが、いわゆるカレー(カレー風味の煮込み)はあまり見当たりません。 またドイツでは「カレーヴルスト」なるものが人気を博しているそうで、これはベルリン名物の街角の立ち食い屋台で売っているファーストフード感覚のソーセージ。 ゆでたソーセージをひと口大に切って紙皿にのせ、店毎に工夫したケチャップをかけてカレーパウダーをふったものだそうです。 200円前後という庶民的な値段を手伝い、ワールドカップ開催の2006年には「カレーソーセージ博物館」が完成。 インターネット上にも多くのカレーヴルストのサイトがあるように、熱烈なファンが多いようです。

◆アメリカ
 元々イギリスの領地だったということが要因なのか、意外にもイギリスと同様カレーの歴史は古く、1700年代半ばにイギリスでカレーが初めて登場した料理本が、1800年代はじめにアメリカでも出版されています。 しかし、食文化としてのカレーはまだまだ浸透してはいません。 それでも1983年、ロサンゼルスに日本式のカレーを提供する「カレーハウス」が登場しました。 日本のカレーをベースに、載せる具はアメリカンサイズというカレーは、当初日本人の観光客がメインでしたが、最近では8割以上が日本人以外になっているそうです。 カツカレー・エビフライカレー・ハンバーグカレーなど、いずれの具もボリューム感はアメリカンサイズで、ロサンゼルス近郊に8店舗まで拡大し、寿司や豆腐に続いて日本の文化としてのカレーが浸透しつつあると言えるでしょう。



なぜ大分でカレー?

 大分県出身の福澤諭吉が、日本人として初めてカレーに出会った可能性があることは、日本人とカレーの出会いで説明しました。

 大分県のカレーが美味しいのは何故なんだろう?

 大分に住む人なら、大分県のカレー屋さん、または洋食店の出すカレーが、本当に美味しいという事、また美味しいカレーを提供してくれるカレー屋さん、洋食店が多いという事に気がついている方も少なくありません。 その要因を少し考えてみました。

・清流で作られるカレー
 大分県には全国でも誇れる河川が多く存在します。  佐伯市の番匠川、竹田市・豊後大野市の大野川、日田市の三隈川、中津市の山国川、そして大分市の大分川。 またそれぞれが支流を作り、多くの市や町や村へ豊かな水を運んでいます。  今でも地方にいくと、人の手を介さず、山水をそのまま各家庭の水道に通している地域も少なくなく、これらが生み出す農作物や各家庭の料理が、美味しくないはずはないのです。
 こうした第一級の水で作られる、カレーやお米は癖もなく、料理本来の味がより引き立っていると考えられています。

・豊かな自然が作る農作物
 大分県は海・山・川の幸に恵まれ、雨が比較的少なく、一年を通して温暖な瀬戸内気候の影響で、農作物の環境に適しています。 椎茸・かぼす・ぎんなんなどは全国トップのシェアを誇り、ご飯に入れるとカレーと良く合うサフランにいたっては、なんと100%のシェア(H16年度)でもあります。
 大自然が産んだ農作物は、日本人の知恵でカレーの具として、また時にはカレーパウダーの隠し味としてふんだんに使われ、我々消費者の舌を楽しませてくれるのです。

・大分県民の気質が生んだ地産地消の精神
 歴史を遡っても、大分県はキリスト教が盛んに布教されたり、日田市などは天領として独自の文化を持ったり、また近年では九州でも有数のプロスポーツ先進県として活躍したりと、隣接した国や県に影響されない独自の文化を育んできました。 その大分県民の気質は、悪い意味で取ると、「閉鎖的で身内贔屓」の気質と見られがちですが、こういう歴史や文化のお陰で、『地産地消』という素晴らしい精神を自然な形で作ることが出来ています。
 大分県の小売業者、飲食店などで販売・利用されている商品・食材は、圧倒的に県産のものが多く、それが大分県民にとって当たり前であり、大分県流の美学でもあるのです。
 最近でこそ『地産地消』という言葉は、『スローフード』と洒落た言葉に名を変え、注目されてきましたが、大分県ではずっと昔からこの精神が今なお受け継がれて来ているのです。

・近年の大分県の食文化の向上
 カレー店に限らず、大分県の飲食店経営者に、都会で修行を積んだ人、都会から田舎に引っ越してきてお店を出した人は少なくありません。 彼らは、別の地域で経験した大分県にはない技術や味を持ち込み、若者を中心に人気を博しています。この様にUターンは元より、Iターンの適地として大分県の人気が高い事は、別府市や由布院を中心にした温泉の影響もあるのでしょう。
 また、カレーに限って言えば、お隣の県・福岡県でご当地料理として人気の高い焼きカレーに負けじと、別府市の人気店「おじいさんの時計」が石焼カレーなるものを独自に開発しました。 今では大分県の多くのカレー店で、そのメニューを見ることが出来、新しい大分発のカレー文化として、今後注目されています。



「大分活性化宣言!」ブログとカレー特集記事

 2006年4月1日に誕生した「大分活性化宣言!」ブログ。現在でも引き続き一番人気のカテゴリーとして、好評をいただいているのが、大分県で食べられるカレーを紹介する『大分でカレーを喰らう!』です。
 企画開始当初、10件前後で終わろうと考えていたのですが、閲覧者からの情報が絶えず、一年半経過した2007年10月現在50件に迫る勢いで紹介してきました。 改めて、日本人のカレー好きを確認したのは当然ですが、大分に美味しいカレーを提供してくれるお店が多いことに気がついたのも、この企画のお陰です。

 「大分にカレーという新しい名物を!」

 我々はそう願いながら、今日も明日もカレーを食べ続けます!!





※このページを作成するに当たり、以下のサイト様を参考にさせていただきました。

自由軒オフィシャルサイト 様
ハウス食品 様
カレー雑学大百科 様